遠い昔、このあたりは三韓国坂と言われた古道で、そのわきに一本の榎の霊木があり、人々の信仰を集めていた。
下って、大坂冬の陣のとき、真田幸村がこの土地に陣所を構えたが、この信仰を聞き伝えて、鎌を打ちつけ、鎌八幡大菩薩と称して祈念したところ、大いに戦勝をあげたと伝えられている。江戸時代初期にはこの鎌八幡の境内に、国文学者として有名な高僧契沖阿闍梨が居を定め、圓珠庵と称した。契沖は、ここで万葉代匠記や和字正艦要略を著し国文学の研究に専念すると同時に、深く鎌八幡を信仰した。この頃から「鎌八幡」は「祈とう寺」として、人々の信仰が広まった。
大正十一年に、境内全域が大阪市では最初の国の史跡指定をうけたが、境内の大部分は戦災で損壊したあと復興したものである。その間、霊木は蘇生し、絶えなる信仰と、多くの霊験が得られている。